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2014年11月28日 (金)

省エネルギーと循環社会

よく省エネルギーな循環型社会・・・と言われますが、果たして省エネルギーと循環社会はどのような関係になっているのでしょうか?・・・ふとそう思いました。

地球上の生物は循環しているとよく言われますがこの表現には注意が必要です。

エクセルギーとエントロピーなどの言葉を聞いた事がある人なら大丈夫ですが、この言葉聞いた事が無い人は、上の「生物は循環している」という意味には注意が必要です。

正しく考えれば生物循環などあり得ません。例えば肉体は多くの炭素化合物から出来ているので燃やせば大気中の酸素と反応して熱エネルギーが取り出せますが、取り出したあとはなにも残っていないように見えます。しかし熱はその周囲に伝わり拡散したのでなにも無いように見えるだけです。この行為を人は生物循環とは全く思わないでしょう。

一方人が死んで土に埋められると、土に還ってまた生物を育むと思われており、こちらは生物循環と考えがちです。しかし・・・人が死んで土になるとき、人の体の炭素化合物を変質するために微生物と酸素が必要です。燃やすことと同様にどちらも大気中の酸素を使って酸化させている事にはかわり有りません。

この酸素、どこで造られますか?そう葉緑体が太陽エネルギーを使って水H2Oを分解して酸素と分離した水素を二酸化炭素と融合し炭化水素として、残った酸素が大気中に放たれるのです。つまり・・・太陽光が無ければ酸素は造られませんから炭素化合物は永遠にそのままかもしれません。酸素がなければ所謂生物循環(らしき現象)はおこりません。

土に埋められた炭素化合物は微生物と酸素によってわずかな熱を長期間出しながら変質してゆきます。一方火で燃やされた炭素化合物は一瞬のうちに強い熱を放出します。どちらも最終的には大気に拡散されてわからなくなってしまいます。その放出時間と大きさは違いますが、トータルすると同じ熱の量が必ず大気中に拡散されます。しかし同じ熱ですがその価値は全く違い、瞬間的に大きい熱は物を焼いたり暖めたり他の仕事に使う事ができます。一方土に埋めて変化するときに発生してできる熱は、燃焼時と同じ熱の総和ながら全く仕事には向いておりません。つまりこの熱は人の役にはたたないのです。

このように考えると、燃やすことこそ効率的にエネルギーを使っていると考えられませんか?つまり生物はどのようになっても熱は同じように大気に拡散されるのだから、仕事に役立てた方が人のためにはよいと・・・。つまり省エネルギーが人に有意義なエネルギーを賢く使う事とすると、短時間でエネルギーを拡散する=燃やすことこそ本当は省エネルギーなのかも・・・。

そんな言い方をすると、例えば炭素化合物のゴミなど集めてバイオマスとして使えばよいのでは?との考えもあるでしょう。そのとおり・・・ようは循環ではなくどのように拡散させているかだけの違いです。

結局誰がなんと言おうと地球上のありとあらゆる活動は太陽から発せられる光のエネルギーの流入で維持されており、地球上の生物が生まれる為にも膨大な太陽エネルギーが必要なのです。この地球上は閉じた世界ではなく、太陽というエネルギーが豊富に常に降りそそがれることで、莫大な宇宙に拡散されるエネルギーの収支の均衡がとれていると言えます。つまり拡散と流入であり、「循環」ではありません。

熱は仕事力の源で、その熱は常に拡散方向へしか向かいません。まるで宇宙の拡散(ビッグバン)のように・・・。その中で如何に人に都合よく効率的に拡散させるか・・・それが省エネルギーなのでしょう。

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