家は何もかも昔のままが良いのではない。
戦前までの日本の家内部は、それなりに手入れが必要であった。一日一回はほうきで床(畳)を掃き、一週間に一度は廊下の水ふき、そして一年に2回は畳をめくっての大掃除。紙障子も数年に一回は新しく新調された。この習慣は、「メンテナンスフリー」そして「使い捨て」という価値観が高くなるにつれてなくなり、ついにはいつでも綺麗、お掃除不要とか抗菌とか安易なリフォーム(クロスの張り替え)でほとんど住まう人が手をかける事がなくった。
10年以上も変わる事のない樹脂でコーティングされた綺麗だけれど冷たいフローリング床。道路の舗装が進み砂埃がなくなったのでお掃除は週1回となり、畳めくりは、化学畳(藁床ではない断熱畳や防虫シートをはさんだもの)を使っている事や、和室にTV等多くの物があるので移動が面倒くさくなり、なくなった。メンテフリー、手軽さを求め家の内部のほとんどが石油製品を加工して造られた物を使っている。こうなると石油製品に偏り過ぎた反動があり、ある人々は石油製品を使わないものを強く求める。
例えばログハウスやほとんどの材料を自然素材に拘った住宅など。これ自体は賛同でき、私もそう共感する。しかし昔のものが良いとしても、住み方まで昔のようにできる人は、ほとんどいない。冬はやはり暖房するし、家電製品も多く使う。昔の生活は、電気のブレーカーが20AでOKだった。しかし今ほとんどの新築の家は60Aを下らない。電気使用量が増えるという事は、その使ったエネルギーのほとんどが最終的に熱や水蒸気となる。生活環境が変わったのに、それを無視して昔の工法や材料のまま家を建てると、内部結露やカビだらけの家となる。しかし自然派重視の家を宣伝する雑誌などには、今でも平然とこの生活環境が変わったことを無視して、昔のままの工法(防湿シートがない家)がよいといっている。これは専門家としての努力や見識が足りないと感じる。
暖房すれば室外より室内の方が水蒸気圧(所謂湿気)が高くなり、結露の可能性が高くなる。そもそも自然界に存在しない20度以上温度差が空気中に存在する「暖房」という行為において、その互いの空間の隔つ壁を、自然素材だけで作れると考える方がおかしい。冷蔵庫の外皮が自然木で作れるか?と同じ事。また土壁は断熱性能が低いので、今の基準の断熱性能得ようとすると30cmくらいは必要(断熱性能が低い家は、家中暖房が不可能なため内部、表面結露は避けられない)。
いつもTシャツ一枚で過ごしている人が「私は夏に冷房を使わない」と言っても、来客がネクタイを締めてくれば冷房しないわけにいかないし、その家を次に継ぐものが冷房を必要とする可能性は高い。そのためにも高い断熱性能は必要。つまり、家は社会資産であるため、多くの人が望む性能が必要だと言う事を理解する事が重要。
しかし今でも多くの建築士や家を造る者、自然派雑誌やその団体とかが「自然素材で造られ、昔のままの工法だから健康に良い。」等と声高らかに語たる。大変残念な事である。
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